エロスの果て

暇だと考えちゃうのが自分の癖でして。

今日は、エロスについて。エロスを俯瞰してみよう。

こういうの書く場合って、文学なり文献なりを読んで書くほうが、厚みや奥行きがあっていいのだけれど、自分はそんな知識はないので悪しからず。

人って、いや、人に限らず動物ってすべからく、性欲ってあるじゃないですか?あれって、何でひた隠しにされがちなんですかね?

生き物には三大欲求ってのがあって、食欲・睡眠欲・そして性欲があると。何で、性欲だけ「あぁ、恥ずかしい」って扱いを受けてるか少し不思議だなぁって思う。

きっと、交尾をしている時とか性欲に取り憑かれている時って、限りなく動物に近いから敬遠されがちって事なんだと思う。理性的でないというか、とにかく野に下ったような荒々しさがあるじゃないですか。そこが美しくないとでも言いますか、不当な扱いを受けるのですよ。

もし仮にですよ、人間の文化の中で、性欲とエロスが結びつくのではなく、食欲や睡眠にエロスが結びついていたら、どんな世の中になるのか。これは、食事や睡眠が、限りなく動物的で、人様にお見せするのが恥ずかしい、という価値観が築かれていたらという事。

子どもが食べられるような物は、今で言うグラビア的な扱いで、きっと18禁のメニューがあったりするのだろう。生クリームなんて間違いなく18禁だね。後は、唐辛子。これも人前で食べたら陳列罪で逮捕だね。ナイフやフォーク、布団や枕はアダルトグッズの扱いを受ける。仕方なしに、小売店で買う場合、きっと中身が見えない紙袋に入れられ、そそくさとレジを後にする事になるだろう。布団なんてすぐ分っちゃうけど…。

その一方、性欲に関する物は、当たり前のように並べられているのだろう。ZIP!ではTENGA特集やったり、ZEROでもコロナ禍から営業再開した風俗店の特集したり。

逆に、今のようなグルメ情報は、トゥナイト2の枠に追いやられちゃったりするのでしょうな。やはり、食べ歩きは山本監督何だろうな。

もうね、めちゃくちゃだね。でも、一度見てみたい。伊豆あたりの秘宝館くらい見てみたい。

さて、話は現在の価値観に戻ります。

神話では、アダムとイヴは元々一つの体で、知恵の実を食べて、身体を分かち、互いを意識することが出来たが故に、羞恥心を覚え、イチジクの葉で体を隠した、なんてのもある。

日本でも、イザナミイザナギが目合い、日本列島が出来たそうな。因みに、イザナミは、火の神・ホノカグツチをお生みになった後、陰部を火傷し、それが原因でお隠れ遊ばせたのだとか。すげー災難。痛そう。

尚、神話では、

712(和銅5)年にできた『古事記』の場合、イザナギが「自分には成り成りて成り余れるところがある」と語ったところ、イザナミは「自分には成り成りて成り合わぬところがある」と答えたので、イザナギが「汝が身の成りあわぬところを刺し塞いで国生みをなさん」といって関係したという。

なるほど、目合いも格調高くていいんじゃない?

兎にも角にも、いつの世も、逢瀬の果てに我々がいるのだから、「エロいっ!」と目を背けずに真剣に考えたいものだなぁと思うわけであります。

しかし、初めて交尾をしようと思った我々の祖先って、どんな感じだったのだろうか。上記の、「ジブン、ヨブンナモノアル」「ジブン、タリナイ」「ジャア…」ってな具合だったのか。何故か原始人口調だけど。

案外、不完全な者同士の自然の成り行きだったのかなぁ。心も体も。