Why every people⁉︎

未だに自分の中で答えが出せない事の一つに、何故人を殺してはいけないのか?というものがある。

あ、別に殺したい訳ではございません。悪しからず。

人類至上(中心)主義というのがあるあらしいが、言い換えれば、環境は、人間が活用する為にあるという考え方なのだそうだ。まぁ、おこがましいったらありゃしない、と感じてしまうわけだ。

我々は、自らを「ホモ・サピエンス」と名乗っている。これは、「賢い人類」という意味らしいが、これまたおこがましいと感じる。

ちなみに、ホモ・ネアンデルタールは、ネアンデルタール谷の人類とかって意味だった、かな?住んでいた場所が、名前になるのであれば、賢いってのは大仰だなぁと。

生物の群体を構成する上限は、100〜150らしいが、我々の祖先は、「虚構」を口にする事で、この上限を振り切った群体を手にする事ができた、と。言ってみれば、宗教なんかが馴染み易い。共通の神とか教義とか、ある理念を共有して更なる群体を構成する事に成功したわけだ。

自分の身近な違和感は、家庭内にも。

我が家には猫がいる。皆は、猫の「餌」というが、自分は「ご飯」なのであるわけで。何か、餌というと、明らかなヒエラルキーがそこに感じられてしまい、何か嫌なのよね。人間、そんなにえらいんかなぁと。

仮に、他の生き物と人間が対等だとするならば、何故、人間は殺してはいけないのか?蚊やゴキブリは、割と躊躇なく殺せる。しかし、人間は躊躇しちゃうなぁ。

害があるか無いかでいえば、明らかな害をもたらしているのは人間の方だし、「謙虚に生きる」が目標の自分にしてみれば、かなりの違和感がある。

そして、命に貴賤はない!と掲げると、じゃあ人間は?ちゃんと殺せる?と戻ってくる。


そんな事を考えながら、今日も床に就くのだ。あぁ、8時間しか眠れない…。

あ、そんなコンディションの時はこれを聴いてます。

https://m.youtube.com/watch?v=lI2y5znoSd0

どーぞー。