今Deer

今更ながら、「風の谷のナウシカ」全7巻を読みました。

今まで、アニメ版は観てきたんですよ。それこそ、金曜ロードショーとかでも散々やってたし。そういった方、多いんじゃないですかね。犬も歩けば棒に当たると言いますが、人間生きてりゃナウシカに当たる、と言っても過言ではないです。

さてさて、話の内容ですが、アニメ版とコミック版はガラリと違います。大体、コミック版の2巻の途中くらいがアニメ版になってますです。また、アニメ版には風の谷やペジテといった小さな町やトルメキアという軍事大国が登場しますが、コミック版には、更に、宗教大国・土鬼(ドルク)が登場し、腐海にのまれ、残り僅かな大地を奪い合う勢力争いの中で、ナウシカが人々や自然、蟲と心を通わせていくのが主なストーリー。

実は、産業革命から千年後に文明の頂点を迎えた人類は、世界を汚濁まみれにしてしまった結果、巨神兵という裁定者を作って判断を仰いだんですね。その結果、

昔「ひょうきん懺悔室」の神様はグレート義太夫だと思ってたのが自分だけ ...

となってしまい、「火の七日間」で文明を一旦リセット。そして、世界のデバッグツールとして腐海を作ったと。腐海が、汚れた土を浄化している設定は、アニメ版にもあったので馴染みやすいかと思います。その腐海の用心棒として作られたのが、王蟲(オーム)だったと、こういう設定なんですねぇ。しかも、世界が瘴気に満ち満ちてもなんとか生きていけるように、先人達は人類の体を改造しちゃったんだよね。だから、逆に、全く浄化された空気でも生きていけない。つまり、浄化をするために腐海が広がり、腐海から逃れたとしても綺麗な空気では生きていけない。ハッポーフサガリ‼︎

そんな巨神兵腐海を作った先人達は、土鬼領内にある「王の墓所」という場所に、人類再建の要(綺麗な空気でも生きられる術もね)用意し、ナウシカ達に協力を呼びかけるが、ナウシカは拒否する。

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アニメ版は、自然と共に生きる・自己犠牲と博愛みたいなのが印象として強かったけど、コミック版はそこは通過点としてあるが、生とは混沌である。または、闇の中にある光こそが私達の求める生なのだと。皆に真実を語らぬまま、ナウシカは業とも言うべき物を背負い、夜へと向かう人類の黄昏に「生きねば」と呟くのである。

なんと言うのか、"矛盾"がコミック版のナウシカには、よっこらせと腰を降ろしている気がするのだ。それは作者のハヤオ・ミヤザキの作家性とも一致すると思う。例えば、兵器は好きだが戦争は嫌いとか。生きたいが生かされるのは嫌という。

登場する出来事やキャラクターも、メタファーが多く、火の七日間は核戦争で、巨神兵核兵器そのもの。終盤、ナウシカは自らの目的の為に、ナウシカを母と慕う巨神兵を葬らなければいけないと分かりつつ利用する。

綺麗事では生きていくことは出来ない。皮肉な物で、トルメキアのクシャナ王女は当初、終盤のナウシカの様な考えだったが、ナウシカと関わるうちに博愛や自己犠牲を心得ていった。逆に向かっていったのだ。

私利私欲にまみれていた描き方をしていた王族達も、愚かな大衆に辟易し、国土や国民を顧みない虐殺へとひた走ってしまう。

連載から10年以上経つ中で、ハヤオ・ミヤザキの価値観も変容していったのだろう。そう考えると、とても良い作品に出会えた。