劇評なり

f:id:hajimari-no-convoy:20200301084330j:plain医療・介護従事者としては声を大にして言い辛いんですけど、本日はお芝居を観てきました。はい、すみません。先に謝り、ショックを和らげようとする僕なりの処世術であります。浅ましや浅ましや…。

今日は、劇団Z・Aさんの「赤を啜り、終焉は虚無と知る」を観ました。ビジュアル・ロック・エンターテイメントと銘打った路線で、ギターが鳴る中での殺陣が見どころの作品でした。

ここからは感じた事をつらつらと。

ビジュアル・ロック・エンターテイメントという明確な代名詞があったので、歌舞伎等と同様、"型"で魅せる芝居なのだと感じました。例えば、悲しいという感情の表現一つとっても、映画のような繊細なスケールで表現するよりも、ミュージカルの様に目一杯体全体で悲しさを表現する方がしっくりくる類いかと。

では、この型を最大限魅せるために、アマチュア劇団として出来る事は何か。以下は、個人的な好みも多分に含みますので悪しからず。

劇場…音響が弱かったかなぁ。基本、前面からしか音が出てない(と感じた)ので、どうしても芝居にのめり込めなかった。前・横・後ろからロックのギターが大音量でギュインギュインしてナンボのジャンル(型)だと思うので、ハコの選定の重要さを感じました。


大道具…物語の舞台が城・森・外の戦場等と入れ替わる設定。ただ、基本は同じ劇場内。

当たり前だけど。演劇って、映画やアニメの様にリアリティラインが高い媒体ではないので、観る側にも「今はこういう場なんですよ」というのを納得して観てもらわなきゃいけないと思う。今回の芝居では幕や照明で場面転換を行なっていたけど、舞台の床の素材がそのまま見えていた(木?フローリング?って言ったらいいのかな)。

そこは黒い素材で覆ってもいいのかなぁって感じた。そうすれば、作品のタイトルにもある「赤」がより映えると思うんだよね。


役者…繊細な感情の機微を魅せるよりも、ミュージカルの様な多少大げさな表現がしっくりくると感じた。ただ、それをより観ている側に納得させるのであれば、声量は重要な要素だと思う。伝わってくる役者と物足りないと感じる役者に差があったので、ここをどう埋めていくか、かなぁ。声量は自分の課題でもあるので、自戒の念を込めまして。

お世話になっている劇団の役者陣は健闘していました。キラリと光る。さすがやなぁと。


台本…型で魅せる芝居ということであればいいのかなぁと思いやした。しかし、話の内容でもっていきたいならば、もう一押し欲しかった。

寄生獣や、最近で言えば鬼滅の刃など、人間とそれを捕食する者との相容れなさの解決策を模索しても良かったのでは。例えば、人間と捕食者の共存を選択するなら、人間ではなく他の動物や植物を食べることを試すとか。それでもダメなら、全部御破算にするという内容にも納得。


予算…アマチュア劇団であれば、使える予算はせいぜい数十万円から、いっても百万円だと思う。その限られたパイの中で、「自分達はこれを魅せたいんや!」という部分にいかに采配を振れるかだなぁと感じた。

一番予算を喰うのが劇場だと思う。今回の劇場は清水マリナート。駅から近く利便性も高い。故にハコ代も高そうだなぁという印象。しかし、いいハコだからいい芝居、ではないと思うので、自分達のやりたい事を最大限に表現出来る予算の使い方も戦略的に組んでいかなきゃならねぇなぁと思った。


と、色々書きました。ではまた。